こんにちは、SUMです。
みなさんには、喧嘩別れのような形で疎遠になってしまった友人はいますか?
私には、います。
これが短い付き合いだったらすぐ忘れて終わりなのですが、知り合ったのが10年以上前と非常に付き合いが長い友人だったため、関係が破綻してしまった時はとてもショックでした。
私が大失態をやらかしてしまったこともあり、今でも後悔の念に駆られることがあります。
とはいえ、長い付き合いの中で少しずつ感じてきた違和感が積み重なった結果だったため、仕方のないことでもあったと思っています。
今では連絡を取り合うこともありません。おそらくLINEブロックされているかと。
今回はそんな元友人との過去のお話、その経験から得られた教訓を語りたいと思います。
アホだなぁこいつと笑い飛ばしながら読んで頂けたら幸いです。
この記事ではその元友人のことを「友人P」と呼ぶことにします。
友人Pとは学生時代にSNSで知り合いました。当時流行っていたmixiというSNSです。
学生時代の私というと、「男友達をつくることすら怖くてできない弱虫」「私服は母のチョイス」「アニメオタク」という
今とは比べ物にならないレベルであまりにも酷い虫けらマインドの雑魚チー牛
だったため、それはもう承認欲求が満たせるSNSにどっぷりハマったものです。(SNSは今でも頻繁に開きがち。良くないっすね。改善しなくてはと思っている点の1つです。ちなみにアニメオタクなのは今も変わってません笑)
そんな自分がSNSでオタク趣味で繋がれる友人を偶然見つけたものですから、当時はもう大喜びでしたね。
遠方に住んでいた友人でしたが、毎日のようにSNSにログインしメッセージを送り合っていたため、いつしかネット上でなくリアルの友人のようになり、大学卒業前の春休みでは飛行機に乗って会いに行ったりもしました。
ほんとうに、心の底から楽しかったです。
そこからは私も就職等で環境の変化があり一時期疎遠になるのですが、転勤等で偶然が重なってお互い物理的な距離が近い場所に住めることになり、そこからは実際に会って遊ぶことが増えました。
一緒に映画見に行ったり、Switchでスマブラしたり、宅飲みして部屋に泊まって語り明かしたり。推し活イベントへ参加する方法なんかも教えてもらったりして。
このような楽しい日々を過ごさせてくれた彼には今でも感謝しています。
ある日、友人Pとはバンドを組むことになります。お互いにバンドアニメにハマったのと、元々楽器ができるスキルがあったためです。
これが大きな綻びに繋がるきっかけになるとは、当時は夢にも思っていませんでした。
今だからこそハッキリと明言できるんですけど、「ただ一緒に遊ぶだけの友人」と「同じ目標に向かって共に頑張る仲間」って明確な違いがあるんですよ。
ただ遊ぶだけだったら「楽しい」以外の感情は何も考える必要はありませんが、友人というだけでなく仲間として見るなら「お互いに感謝を伝え合い、弱さを隠さず、時には助け合っていく」気持ちが絶対に必要なんです。
ひと言で言えば、自分をさらけ出せる勇気みたいなものでしょうか。時には厳しい指摘をする勇気が必要になる場面もあると思います。
そこから目を逸らして仲間の気持ちにも目を向けられないのだとしたら、それはもう仲間とは言えないんです。そんなやつ、信用できるわけありませんからね。
案の定、バンド活動を通じて徐々に友人Pとは価値観の相違を感じることになります。
バンドは私と友人Pを含めた計5人で活動することになるのですが、非常に良いメンバーに恵まれました。
私がバンマス(いわゆるバンドのリーダーで全体の舵取りをする人)を務めていたのですが、みんな協力的で演奏技術もあり積極的に発言や提案もしてくれる人たちで、私はこのバンドがとても気に入ってました。
私は是非このバンドでライブをやりたいと提案し、ライブに向けて「こんな演出を取り入れたい」「こういう表現をしたい」という提案をすることになるのですが、喜んで協力してくれたのがとても嬉しかったですね。
ところが、バンドメンバー内で1人だけ協力的じゃないやつがいたんですよ。そう、友人Pです。
友人Pの性格は私もわかっていたため、おそらく積極的に人前で発言したり表舞台で目立ったりするのが苦手なんだろうなあというのは私も薄々気づいていました。ライブパフォーマンスも多分やりがたらなさそうだなと。
とはいえ、他のメンバーが協力してくれている中で彼にだけ言わないわけにもいかず。彼にも演出や表現のお願いをしました。
案の定、め~~~っちゃくちゃショボかったんですよね。そのパフォーマンスが。全く感情が乗っかっていない、ただ言われたから仕方なくやってるだけ感のすごいパフォーマンス。
当然、私は指摘しました。もうちょっと何とかならないかと。しんどかったらやらなくてもいいし、やる意味を感じられない、やりたくない気持ちがあるのであれば無理強いはしないとも言いました。代案を考えることだってできるし、やらないという選択肢もある。
正直な気持ちを話してほしいと、私は真剣に伝えました。それだけこのバンドが好きで、全力でやりたかったからです。できないならできないと、それだけでもハッキリ言ってほしかったのです。
そうしたら、どんな答えが返ってきたと思います?
別に嫌じゃないよ笑
LINEで一言、これだけ。
これが私にとってはどうしても許せないことでした。
私は友人Pと「おれたちで新しいバンド頑張っていこうな」と話をしていたわけですよ。
他のメンバーが協力的なのに、何故よりにもよってお前がその態度なんだと。
人それぞれ得意不得意があるから、できないのはこの際構わない。でも、それならそれでどうして正直な気持ちを話してくれないんだと。おれらは親友じゃなかったのか?
ここから友人Pに対する違和感が止まらなくなります。
そもそもバンド活動自体、私が脱チー牛を目指していたからこそ成し遂げられたことです。
バンドは1人ではできないので、まずメンバー集めからしなくてはなりません。声かけするにしても断られるリスクは必ずありますから、どうしても心のコストがかかる行為です。
運よくメンバーが集められたとしても、仕事はたくさんあります。演奏する曲の提案、練習日の日程調整、練習前のリマインド、ライブの方針決定、打ち合わせの舵取り、ライブ会場の確保、ライブ時の服装の提案、ライブ時の段取りの確認およびメンバーへの説明資料の作成、ライブに来てくれるお客さんの勧誘、これをほぼ私一人でやっていました。
これだけの仕事量。もちろん大変さはありましたが、それだけこのバンドが気に入っていたので全く苦ではありませんでした。
「男友達をつくることすら怖くてできない弱虫」だった過去の私と比べたら、信じられない成長です。
とにかく恐れずに人に声をかけてみる。迷わずに行動する。チー牛だろうが何だろうが、それだけで自分は変われるのだということを私は知っていたから、何だってできました。
では、友人Pは何をやっていたのかというと。
練習日程調整後のスタジオ予約、練習後の飲み会の予約、フライヤーの作成……これぐらいですね。それも大半は私が指示してから動くことばかりで、彼が自発的にバンドのために何かをしているところなどほとんど見たことがありません。
仕事量の比率が偏るのはまだいいですよ。私も楽しんでやっていたし。
しかし私のやりたいこと(演出や表現)には非協力的、大して自分の意見も持っていない。正直に言わない。
ましてや私がこれだけバンドで積極的に仕事をしているのに、感謝の気持ちを示してもらったことなど一度もありません。
おれはなんでこいつと一緒にバンドやってるんだっけ?
気がついたら、そう思う気持ちが止められなくなっていました。
他のバンドメンバーがとても協力的だったのもあり、余計に目立っていましたね。本人は自覚なかったんでしょうけど。
友人Pへの不信感を募らせつつ、ようやくバンドのライブ当日の日を迎えることになります。
この時点で友人Pに対するフラストレーションは限界に近かったですが、ライブをぶち壊しにするわけにもいかなかったので、この日だけは気持ちを切り替えて楽しむことを心がけました。
ライブは結果的に大成功。来てくれたお客さんも楽しんでくれていました。
そして、ライブ後の打ち上げにて。
本来だったら友人Pと肩を組んで「おれたちの力でやり遂げたな!」って苦労をわかちあいながら乾杯したかったですよ。
とてもじゃないですが、そんな気持ちにはなれませんでした。当たり前でしょう、ほとんど私がやったんだから。
そんな私の気持ちをよそに、「みなさんありがとうございました! 1人1人にお礼を言いたいです!」とライブの成功をはしゃぐ友人P。
私の中で何かがキレた瞬間でしたね。お前まずおれに何か言うことあるんじゃねえのかと。
ライブが終わって1週間後。私は勇気を出して友人Pに伝えました。もうお前とバンドやりたくない、と。
友人Pのリアクションは「そうなんだ。何かあったの?」と軽いものでした。
それが引き金となり、私はこの日から友人Pへきつい物言いをするようになってしまいます。
友人Pに私がこれまで思っていたことを伝えると、口ではわかったと言うのですが、全然手ごたえがないんですよね。
真剣に聞いてくれているように感じない。話し合いをしても、全然聞いているような姿勢が見られないというか……ぬかに釘、馬の耳に念仏といった雰囲気でした。スカした態度にしか見えなかったんですよ。私がどうして怒っているか、悪気はなくほんとうに理解できなかったんでしょうね。
伝わっていないであろう様子に私の苛立ちは加速し、私の口調は激しさを増していきます。
そして私はここから大きな失敗をやらかすことになります。
友人Pがこんな態度だったので、この苛立ちを発散する手段がどこにもなく、あろうことかバンドメンバーや共通の知り合いの友人に愚痴ってしまったんですよね。
これが最低最悪の大悪手でした。今思い返しても、ほんとうにバカすぎる。
最初は周りも「そうなんだ……大変だったね」と言ってくれましたが、人の悪口を聞くというのはやはり気分が良くないものです。周囲の私へ対する態度が段々冷たくなるのを肌で感じました。
友人Pは別に人に迷惑をかけたり、危害を加えたりするようなことは一切していないのですから。そりゃ私が異常者に見えて当然です。
「友人Pに伝わらなくて苛立つ→愚痴る→周囲の反応が冷たくなるのを感じる→どうにか解決しようと試みる→友人Pに伝わらなくて苛立つ→愚痴る→以下ループ」という地獄のようなスパイラルに陥ってしまいました。
その結果、バンドメンバーやその他友人たちの信頼を失い、ボロクソに言われ、一時期四面楚歌な日々を送ることになります。これが原因で疎遠になってしまった人もいます。これまでの人生の中でもトップクラスの失敗と後悔です。
当然友人Pとは連絡が取れなくなり、私はバンド活動を続けられなくなり、しばらくお休みすることになります。
ちょうどこのくらいの時期にマッチングアプリの活動もしていたので、もう精神状態が最低最悪でしたね。首吊りのロープを買ったのはこの頃だったかな?
それからしばらく時間が経ち、今現在はどうしているかというと……なんと驚くことに元バンドメンバーが私に声をかけてくれたことがきっかけで何人かとは和解することができ、メンバーを入れ替えてバンド活動を再開することができています。
元バンドメンバーが心配して私に声かけをしてくれたのです。近況が気になるから、飲みに行って話し合おうと。
確かに許せないと思うこともあったけど、あなたがいろいろやってくれたおかげでバンドやライブが楽しめたのもまた事実だと言ってくれたのです。このことがきっかけで、バンドを再開させることができました。
今一緒に活動してくれているバンドメンバーには感謝しかありません。
以上、元友人Pとの思い出話でした。過去を振り返りながら書いてみて、ほんとにバカだったなあと反省しています。
しかもバンドメンバーの中にはかなり年下の子もいたので、余計に情けなかったですね。いい歳こいて何してるんだろうと。とにかく自分を恥じました。
この件について後から思い返してみると、たくさんの教訓があります。
まず、楽しく遊べる友人と出会えたとしても、安易に最高の友人だと思い込まないことです。
私は元友人Pを親友だと思っていましたし、おそらくお互いにそう思っていたことでしょう。しかし、実際は親友などではなかった。
付き合いが長いというだけで定期的に遊ぶ程度の間柄でしかなかったため、お互いの本質的なところをわかっていなかったのでしょう。
明確に価値観が違ったため、「ただ一緒に遊ぶだけの友人」としては最高でも、「同じ目標に向かって共に頑張る仲間」にはなれなかったんです。
こちらの記事で書いた通り、私は社会人になってからは常に挑戦を続けていました。
新しいコミュニティに参加したり、マッチングアプリで彼女をつくろうとしてみたり。それは友人Pとの付き合いがある間も続けていました。
挑戦し続けてきた経験という下地があったからこそ、バンドを結成することができたのは間違いないと自負しています。
友人Pはおそらくこういった挑戦はほとんどしてこなかったのでしょう。
知り合ったのは10年以上前ですが、私と違ってその頃から趣味や休日の過ごし方もあまり変わっていないような気がします。昔と比べて大きく成長しているようには見えません。私と知り合ってから新しく彼女ができたという話も聞いたことはないし、何か目標に向けて努力しているみたいな話もほとんど聞いたことがありません。
実は友人Pが所属しているというオタクコミュニティの人たちにも会う機会があったのですが、典型的なチー牛・弱者男性・オタクの集団みたいな感じで、どいつもこいつも覇気がなく喋っていてつまらないような連中ばかりでした。
私に向かって「友人Pの知り合いだから会うけど、新しい友人関係はあまり必要としていない。身内だけいい」みたいな発言をするようなやつもいましたね。私とは全く正反対の、挑戦を恐れる雑魚そのものの発言です。
友人Pは私とも遊ぶ裏で、このような人たちとも長年付き合いがあったのです。群れることで安心感はあるんでしょうけど、こんな連中とつるんでたら成長できるわけがありません。
挑戦を続けていた私と、挑戦を避けていた友人P。そりゃ私の労力なんて理解してもらえるわけがありません。猫に小判というか、豚に真珠というか。
気づかぬうちに、お互いの人生のステージが変わってしまっていたんですよね。
私が挑戦を続けて獲得したもの=バンドに、友人Pをタダ乗りさせてしまったわけです。自己肯定感が低かったから、安易に安売りしちゃったんでしょうね。ほんとにバカすぎる。
自分の努力で勝ち得たものは、決して安売りなどしてはいけません。
私と友人Pは明確に価値観が違いました。ではどうすれば良かったのか。
そっと距離を置けば良かったんです。
友人Pをコントロールしようとしてしまっていたんですよ。自己完結などとは程遠い、典型的な依存の弱者マインドになってしまっていたんですね。
私が友人Pを勝手に最高の友人と思い込むあまり、変に執着してしまい、価値観が違うという現実を受け入れられなかったんです。
価値観の押し付けなどをせず、ただ一緒に遊ぶだけの友人関係を続けていれば良かったのです。
付き合いが長い友人ならちょっとやそっとじゃ喧嘩したりしないだろうと思うかもしれませんが、むしろ付き合いが長い人ほど注意しないといけないかもしれません。
過ごした年月が長ければ長いほど、最初に出会った時から価値観が変わっている可能性は大いにあるのですから。友人関係だけでなく、恋人から家族になった夫婦関係についても同じことが言えそうです。
100%価値観の合う他人などこの世に存在しません。
1人1人が違う人間であるということを認識し、相手をよく観察して最適な距離感を見つける。
円満な人間関係を築くためにはこれが必須です。
自分と合いそうだと思えば近づき、そうでないと判断したら離れる。そこに余計な言葉はいりません。どれだけ愛している恋人でも、どれだけ親しい友人でも、これは変わりません。
自己肯定感が低い自覚がある人ほど、自他境界が曖昧になりがちなので気をつけるべきです。自分が感じることは当然相手もわかってくれるはずだ!みたいな意味不明なことを考え始めるので。
教訓をまとめると、こんな感じですね。
・安易に最高の友人だの仲間だの言わないこと。
・人に執着しないこと。
・去る者を深追いしないこと。
・感じた違和感を放置しないこと
・切るべき人は切ること
・正論を振りかざさないこと
・付き合いが長かろうとご縁がない人はないと知ること
連絡が取れなくなってしまった元友人Pですが、一緒に遊んでいて楽しかったのはほんとうです。
今でも、心から感謝しています。
もう会話することもないだろうから、ここで言うわ。これまで仲良くしてくれて、ほんとうにありがとうな。幸せになってくれよ。
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